ARTICLE「北部九州における神籠石型山城の配置」を掲載しました。
「北部九州における神籠石型山城の配置」は、大学時代に人文地理学の講義と、酒井龍一先生から日々薫陶を受けていたセトルメントアーケオロジーの影響で書いた論文です。当時は、コンピューターを使わず、手計算と作図で空間分析を行っていました。古代山城を研究する考古学者からは、小澤は地図で遊んでるだけだとの批判も浴びたことも懐かしい思い出です。日本考古学では、小林達雄と酒井先生くらいで、まだなじみの薄い手法でしたし、ティセンポリゴンにも拒絶反応示すこともしかたなかったのかな。ただ、地図上に神籠石の位置を落とした分布図のみを見て、議論にならない土壌であれこれいうのではなく、より客観的な議論ができることを目指した論文でした。